何か素晴らしいことを達成するための努力というものは、決して無駄にならないことを覚えていなさい。
世界で最も哀れな人とは、目は見えてもビジョンのない人だ。
ひとつの幸せのドアが閉じる時、もうひとつのドアが開く。 しかし、よく私たちは閉じたドアばかりに目を奪われ、開いたドアに気付かない。
ベストを尽くしてみると、あなたの人生にも他人の人生にも思いがけない奇跡が起こるかもしれません。
闇と沈黙の中でさえ、すべてのものは、驚嘆すべきものを持っています。 私はどんな状況にあっても、その中に充足があることを学んでいます。
闇と沈黙の中でさえ、すべてのものは、驚嘆すべきものを持っています。 私はどんな状況にあっても、その中に充足があることを学んでいます。
私は素晴らしく尊い仕事をしたいと心から思っている。 でも私がやらなければならないのは、ちっぽけな仕事をも素晴らしくて尊い仕事と同じように立派にやり遂げることなのだ。
悲観論者が、星についての新発見をしたり、海図にない陸地を目指して航海したり、精神世界に新しい扉を開いたことは、いまだかつてない。
物事を成し遂げさせるのは希望と自信です。
本当の教育は知性と美しさと善良さを組み合わせたものです。 そしてこのうち一番大切なものは善良さです。
人の苦しみをやわらげてあげられる限り、生きている意味はある。
元気を出しなさい。 今日の失敗ではなく、明日訪れるかもしれない成功について考えるのです。
あきらめずにいれば、あなたが望む、どんなことだってできるものです
私たちにとって敵とは、「ためらい」です。 自分でこんな人間だと思ってしまえば、それだけの人間にしかなれないのです。
もし幸福な生活を送りたいと思う人々がほんの一瞬でも胸に手を当てて考えれば、心の底からしみじみと感じられる喜びは、足下に生える雑草や朝日にきらめく花の露と同様、無数にあることがわかるでしょう。
第六感は誰にもあります。 それは心の感覚で、見る、聴く、感じることがいっぺんにできるのです。
視野の広い深遠な知識をもつことです。 その知識とは、嘘と真実、低俗なものと高尚なものを見分ける力です。
心ある人々が悪魔との戦いに長い時間を費やしています。 これは素晴らしいことですが、その人たちが同じエネルギーを人々のために使えば、悪魔は退屈してすぐに退散してしまう。
目に見えるものは移ろいやすいけれど、目に見えないものは永遠に変わりません。
いく先々で出会うみなさんの思いやりのおかげで、ものごとがいつもうまく進んでいきます。
自分の欠点を直視し認めることです。 ただし欠点に振り回されてはいけません。 忍耐力、優しさ、人を見抜く目を欠点から学びましょう。
みんながみんなのために働く、それがほんとうの愛国心。
孤独な魂に出会うと、自由と知性のあふれる世界にかならず導いてあげる、それが愛。
人々の思いやりがあれば、小さな善意を大きな貢献にかえることができます。
幸福は自己満足によってではなく、価値ある目標に忠実であることによって得られる。
盲目であることは、悲しいことです。 けれど、目が見えるのに見ようとしないのは、 もっと悲しいことです。
安全とは思いこみにすぎない場合が多いのです。 現実には安全というものは存在せず、子供たちも、誰一人として安全とは言えません。 危険を避けるのも、危険に身をさらすのと同じくらい危険なのです。 人生は危険に満ちた冒険か、もしくは無か、そのどちらかを選ぶ以外にはありません。
もしも、この世が喜びばかりなら、人は決して勇気と忍耐を学ばないでしょう。
人生はどちらかです。勇気をもって挑むか、棒にふるか。
大きな目標があるのに、小さなことにこだわるのは愚かです。
はじめはとても難しいことも、続けていけば簡単になります。
結局、真の知識を得ようと望むものは、誰でも艱難の山を一人で登らなければならず、頂上への王道がない以上、私は曲がりくねりながら登らねばならぬことに気付いたのです。
自分でこんな人間だと思ってしまえば、それだけの人間にしかなれないのです。
うつむいてはいけない。 いつも頭を高くあげていなさい。 世の中を真っ正面から見つめなさい。
世の中はつらいことでいっぱいですが、それに打ち勝つことも満ち溢れています。
世界で最も素晴らしく、最も美しいものは、目で見たり手で触れたりすることはできません。 それは、心で感じなければならないのです。
顔をいつも太陽のほうにむけていて。影なんて見ていることはないわ。
誰かに微笑みかけること、それは愛の表現であり、その人へのすばらしい贈り物となるのです。
愛とは、大きな愛情をもって小さなことをすることです。
昨日は去りました。 明日はまだ来ていません。 わたしたちにはただ、今日があるのみ。 さあ、始めましょう。
笑ってあげなさい。 笑いたくなくても笑うのよ。 笑顔が人間に必要なの。
説教してきかせても、それは人とふれあう場にはなりません。 ほうきをもってだれかの家をきれいにしてあげてごらんなさい、そのほうがもっと雄弁なのですから。
飽くことなく与え続けてください。 残り物ではいけません。 痛みを感じるまでに、自分が傷つく程に与え尽くしてください。
暗いと不平を言うよりも、あなたが進んで明かりをつけなさい。
今、この瞬間幸せでいましょう。 それで十分です。 その瞬間、瞬間が、私たちの求めているものすべてであって、他には何もいらないのです。
日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。 愛はまず手近なところから始まります。
もし貧しい人々が飢え死にするとしたら、それは神がその人たちを愛していないからではなく、あなたが、そして私が与えなかったからです。
世界平和のためにできることですか? 家に帰って家族を愛してあげてください。
心が愉しむことは、どんな美容師にもまさる効果があります。
富める人のほうが貧しいと思うときがあります。 富める人のほうが内心孤独であることが多いのです。
大切なのは、どれだけ多くをほどこしたかではなく、それをするのに、どれだけ多くの愛をこめたかです。 大切なのは、どれだけ多くを与えたかではなく、それを与えることに、どれだけ愛をこめたかです。
短くて口に出しやすい言葉でも、心のこもった言葉はある。 そんな言葉はいつまでも心の中に輝き続ける。
私たちは、成功するためにここにいるのではありません。 誠実であるためにここにいるのです。
喜びとは、魂を捕まえられる愛の網なのです。
所有すればするほど、とらわれてしまうのです。 より少なく所有すれば、より自由でいられます。
愛されることより愛することを。 理解されることよりは理解することを。
一切れのパンではなく、多くの人は愛に、小さなほほえみに飢えているのです。
あなたに出会った人がみな、最高の気分になれるように、親切と慈しみを込めて人に接しなさい。 あなたの愛が表情や眼差し、微笑み、言葉にあらわれるようにするのです。
いかにいい仕事をしたかよりもどれだけ心を込めたかです。
人間のほほえみ、人間のふれあいを忘れた人がいます。 これはとても大きな貧困です
導いてくれる人を待っていてはいけません。 あなたが人々を導いていくのです。
私たちは、大きいことはできません。 小さなことを大きな愛をもって行うだけです。
神様は私たちに、成功してほしいなんて思っていません。 ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。
平和は微笑みから始まります。
貧しいことは美しいことです。
この世界は食べ物に対する飢餓よりも、愛や感謝に対する飢餓の方が大きいのです。
人はしばしば不合理で、非論理的で、自己中心的です。 それでも許しなさい。 人にやさしくすると、人はあなたに何か隠された動機があるはずだ、と非難するかもしれません。 それでも人にやさしくしなさい。 成功をすると、不実な友と、本当の敵を得てしまうことでしょう。 それでも成功しなさい。 正直で誠実であれば、人はあなたをだますかもしれません。 それでも正直に誠実でいなさい。 歳月を費やして作り上げたものが、一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。 それでも作り続けなさい。 心を穏やかにし幸福を見つけると、妬まれるかもしれません。 それでも幸福でいなさい。 今日善い行いをしても、次の日には忘れられるでしょう。 それでも善を行いを続けなさい。 持っている一番いいものを分け与えても、決して十分ではないでしょう。 それでも一番いいものを分け与えなさい。
あなたは、あなたであればいい。
力や知性ではなく、地道な努力こそが能力を解き放つ鍵である。
民主主義は最悪の政治形態らしい。 ただし、これまでに試されたすべての形態を別にすればの話であるが。
統計とは、街灯の柱と酒を飲むようなもの。 照明というより、支え棒としてのほうが活用されている。
敵がいる?良いことだ。 それは、人生の中で何かのために立ち上がったことがあるという証だ。
短い言葉が最高だ。 なおかつ古い言葉なら、まったく申し分ない。
態度と言うのはちょっとしたものだが、大きな違いを生み出す。
短い言葉が最高だ。 なおかつ古い言葉なら、まったく申し分ない。
全力を尽くすだけでは十分ではない。 時には必要なことをやらなければ。
成功があがりでもなければ、失敗が終わりでもない。 肝心なのは、続ける勇気である。
資本主義の欠点は、幸運を不平等に分配してしまうことだ。 社会主義の長所は、不幸を平等に分配することだ。
私は豚が好きだ。 犬は我々を尊敬し、猫は我々を見下す。 しかし、豚は我々を対等に扱ってくれる。
私は血と苦労、涙と汗以外に捧げるべきものを持たない。
私はいつでも学ぶことをいとわないが、教えられるのをいつも好むわけではない。
私たちが勝ったとしても、たいしたことじゃない。 でも、私たちが負けたら、かまってくれる人など誰もいなくなるだろう。
私が書くつもりになるくらいだから、歴史は私にとって親切なのだろう。
向上とは変化である。 完全になるとは、しばしば変化することである。
幾度となく過ちを犯すだろう。 だが、寛大で誠実で情熱を持っていれば、世界を傷つけることも深刻に悩ませることもない。
我々は得ることで生計を立て、与えることで生きがいを作る。
嘘が世界を半周したころ、真実はまだズボンを履こうとしている。
もしも地獄の真っ只中にいるのなら、そのまま突き進むがいい。
今は終わりではない。 これは終わりの始まりですらない。 しかしあるいは、始まりの終わりかもしれない。
正直であることは立派なこと。 しかし正しくあることも大事だ。
一度剣を抜いた以上は、息が絶えるまで、勝利を完全に手中に収めるまで剣を捨ててはならぬ。
孤独な木は、仮に育つとすれば丈夫に育つ。
誠実でなければ、人を動かすことはできない。 人を感動させるには、自分が心の底から感動しなければならない。 自分が涙を流さなければ、人の涙を誘うことはできない。 自分が信じなければ、人を信じさせることはできない。
日々正直に行動することが、成功に達する最も確実な道だ。
私の業績の中で最も輝かしいことは、妻を説得して私との結婚に同意させたことである。
世界とは、若者にくどかれ勝ち取られるためにある。
行動する事は少しも恐れはしない。 恐れるのは、ただ無為に時を過ごす事だけだ。
回想していると、ある老人の話が思い出される。 その老人は死の床でこう言ったのだ。 生きている間には数々の心配ごとがあったが、その心配が当たったことはほとんどなかった。
いらぬ取り越し苦労をするよりも、前もって考えたり計画するほうが大事だ。
たとえ生死の境にあって、気持ちが極度に張りつめている時でさえも、他人の人生を思いやり、人類を支配する法則とは何であるかを考えてみるとすれば、必ず何らかの報酬が返ってくる。
勇気とは、起立して声に出すことである。 勇気とはまた、着席して耳を傾けることでもある。
成功とは、失敗を重ねても、やる気を失わないでいられる才能である。
過去をより遠くまで振り返ることができれば、未来もそれだけ遠くまで見渡せるだろう。
我々の目的は、勝利、この二字であります。 あらゆる犠牲を払い、あらゆる辛苦に耐え、いかに長く苦しい道程であろうとも、戦い抜き勝ち抜くこと、これであります。
どんなことでも、大きいことでも、小さいことでも、名誉と良識とが命ずるとき以外は、断じてゆずるな。 力に対し、ことに敵の圧倒的優勢な力に対しては、断固として絶対にゆずってはいけない。
偉大さの代償は、責任である。
世の中で、最もよい組み合わせは力と慈悲、最も悪い組み合わせは弱さと争いである。
勇気がなければ、他のすべての資質は意味をなさない。
目前にせまった困難や大問題にまともにぶつかること。 そうすればその困難や問題は、思っていたよりずっと小さいことがわかる。 しかし、そこで逃げると、困難は2倍の大きさになってあとで襲ってくる。
もしあなたが、過失を擁護する態度をとるだけであれば、進歩の望みはないだろう。
復讐ほど高価で不毛なものはない。
私が義務感と信念に基づいて行動している限り、いくら悪口を言われようと何ともない。 害になるよりはむしろ益になるくらいだ。
不利は一方の側にだけあるものではない。
先を見すぎてはいけない。 運命の糸は一度に一本しかつかめないのだ。
完全主義では、何もできない。
大切なことは、力のない人の言葉が認められることである。
事前にあわてふためいて、あとは悠然と構えているほうが、事前に悠然と構えていて、事が起こった時にあわてふためくよりも、利口な場合がある。
重要なポイントを突くときは、如才なくやろうとか巧妙にやろうとか思ってはいけない。ポイントを一突きせよ。
人生最大の教訓は、愚かな者たちでさえ時には正しいと知ることだ。
愉快なことを理解できない人間に、世の中の深刻な事柄がわかるはずがない。
私は楽観主義者だ。 それ以外のものであることは、あまり役に立たないようだ。
悲観主義者はあらゆる機会の中に問題を見いだす。 楽観主義者はあらゆる問題の中に機会を見いだす。
好転する前には、悪化するという段階もあり得る。
何が本当に自分の利益であるか、ということを知ることは容易ではない。
築き上げることは、多年の長く骨の折れる仕事である。 破壊することは、たった一日の思慮なき行為で足る。
金を失うのは小さく、名誉を失うのは大きい。 しかし、勇気を失うことはすべてを失う。
夢を捨てるとき、この世は存在しなくなる。
決して屈するな。 決して、決して、決して!
現在我々は悪い時期を通過している。 事態は良くなるまでに、おそらく現在より悪くなるだろう。 しかし我々が忍耐し、我慢しさえすれば、やがて良くなることを私は全く疑わない
変転する状況のただ中で、ひとりの人間が終始一貫性を保つただひとつの可能性は、すべてを支配する不変の目標に忠実でありながら、状況に応じて変化することにある。
もう、言葉は充分だろ。 今すぐ、行動に移そう。
混乱でいっぱいの家の中に住むより、屋根の上で生きた方がいいね。
お前は逃げる。 でも、自分自身からは逃げられない。
君の命には、黄金なんて比べ物にならないほどの価値がある。
誰もが、自分が望む生き方で、自分の人生を、精一杯生きていこう。
これからの明るい未来のなかでも、君は過去を忘れることはないんだ。 だからもう、涙をふいて。
ひとつの愛、ひとつの心。 みんなで一つになれば、いい気分になれるさ。
雨を感じられる人間もいるし、ただ濡れるだけの奴らもいる。
音に打ちのめされて傷付くものはいない。 それが音楽のいいところさ。
飢えた群衆は、怒れる群衆なんだ。
自分の生きる人生を愛せ。 自分の愛する人生を生きろ。
俺たちには学はないけど、インスピレーションがある。 もしも教育なんて受けていたら、とんでもない愚か者になっていたさ。
心配しなくていいんだよ。 どんな些細なことでもすべてうまくいくからさ。
後ろ向きなやり方では、とても生きては行けないよ。 分かるかい。 前向きに進むんだ。 毎日が新しい日なんだから。
偉大な神が空から舞い降り、すべてを取り除き、みんなをハイな気分にさせてくれると言う奴もいる。 でも、どんな人生に価値があるのか分かっているなら、君自身のものをこの世で探すんだ。
ひとつのドアが閉まっている時、もっとたくさんのドアが開いているんだよ。
どうやって生きるかなんてことは、誰も他人に教えられないよ。 それは、自分自身で見つけるものだ。
世界を手に入れるために自分の魂を失うな。 賢明さは金銀よりも価値がある。
批判するな。 自分自身を批判する前に。 批判するな。 批判する覚悟がないのなら。
誰もが自分の運命を決定する権利を持っている。
指をさして人を非難する前に、君のその手がよごれていないか確かめてくれ。
若くなるには、時間がかかる。
ようやく子どものような絵が描けるようになった。 ここまで来るのにずいぶん時間がかかったものだ
わたしの健康を祝して乾杯してくれ!
私は大金を持った貧乏人のように暮らしたい。
アクシデントが起きると、人はそれを変えようとするが、人には変えることが出来ない。 アクシデントが人の内面を明らかにするだけだ。
太陽を黄色い点に変えてしまう 絵描きもいれば、黄色い点を太陽へと変えられる絵描きもいる。
すべてのものは、かぎられた量しかない。 とくに幸福は。
それにしてもあの絵は全然彼女に似ていないな なに、彼女の方でだんだん絵に似てくるさ
芸術家の資格は、智慧と注意と誠実と意志のみである。
絵の玄人なんていうものは、絵描きに対してロクなアドバイスをしない。
回教徒が寺院に入るとき靴を脱ぐように、私は仕事中、ドアの外に肉体を置いてくる。
絵を描くのは美的活動ではない。 この敵意に満ちた奇妙な世界と我々の間を取り次ぐ、一種の魔術なのだ。
想像できることは、すべて現実なのだ。
自分には過去も未来もない。 ただ現在に生きようが為に絵を描くのである。
他人を模写するのは必要なことである。 しかし、自分を模写するのは哀れなものだ。
私の創造の源泉は、私が愛する人々である。
画家は、労働者が働くように勉強しなければならない。
芸術家を何とお思いか。 画家なら目、音楽家なら耳、詩人であれば心に抒情、ボクサーなら筋肉のほかに何も持たない愚か者とでもお思いか。 それはとんでもない勘違い。 芸術家はそれだけでなく、政治的な存在でもあり、世の中の悲しみ、情熱、あるいは歓びにもつねに関心を抱き、ただその印象に沿って自らを形作っている。
芸術作品は、部屋を飾るためにあるのではない。 敵との闘争における武器なのだ。
芸術とはわれわれに真理を悟らせてくれる嘘である。
昔、母は私にこう言った。 お前が軍人になれば、将軍となるでしょう。 修道士になれば、法王となるでしょう。 そして私は画家となり、ピカソとなった。
仕事は人間に必要だ。 だから人は目覚まし時計を発明した。
明日に延ばしてもいいのは、やり残して死んでもかまわないことだけだ。
私はいつも自分のできないことをしている。 そうすればそのやり方を学べるからだ。
芸術は日々の生活のほこりを、魂から洗い流してくれる。
芸術は悲しみと苦しみから生まれる。 わたしは立ち止まりはしない。
ひらめきは、自分で呼び込めるものではない。 わたしにできるのは、ひらめきを形にすることだけだ。
冒険こそが、わたしの存在理由である。
いかなる創造活動も、はじめは破壊活動だ。
コンピューターなんて役に立たない。 だって、答を出すだけなんだから。
すべては奇跡だ。 例えば、お風呂に入ったとき、あなたがお湯に溶けてしまわないことだって。
女の顔はキャンバスだ。 毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている。
子供は誰でも芸術家だ。 問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。
誰もが芸術を理解しようとする。 ならば、なぜ鳥の声を理解しようとはしないのか。 人が、夜や花を、そして自分を取り巻く全てのものを、理解しようとしないで愛せるのはなぜだろうか。 なぜか芸術に限って、人は理解したがるのだ。
大切なことは、熱狂的状況をつくり出すことだ。
私は対象を見えるようにではなく、私が思うように描くのだ。
何か新しいものを作るとき、それを作るのは実に複雑だから、作品はどうしても醜くなってしまうのだ。
できると思えばできる、できないと思えばできない。 これは、ゆるぎない絶対的な法則である。
人はあらゆる物や人に意味を見出そうとする。 これは我々の時代にはびこる病気だ。
人生で最もすばらしい癒し、それが愛なのだ。
優秀な芸術家は模倣し、偉大な芸術家は盗む。
私は捜し求めない。 見出すのだ。
柔道の基本は受身 受身とはころぶ練習 負ける練習 人の前で恥をさらす練習
わたしは、人間のほんとうの幸せとは 「充実感のある生き方」だと思っています。
トマトにねぇ いくら肥料をやったってさ メロンにはならねんだなあ
無理をしないで なまけない私は 弱い人間だから
身からでたサビだなあ 身に覚えがあるよ
花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 根は見えねんだなあ
いいですか いくらのろくてもかまいませんよ たいせつなことは いつでも前をむいて 自分の道を歩くことですよ
